映画「陰陽師」のあらすじや感想を紹介!古代日本に実在した技官を主人公にした作品

夢枕獏の小説「陰陽師」が原作。古代日本に実在した技官、安倍晴明(あべのせいめい)を主人公にした作品。舞台は平安京。

晴明を野村萬斎、宿敵、道尊に真田広之、帝に岸部一徳、巫女の小泉今日子など、充実の出演者となっている。

映画「陰陽師」のあらすじ

舞台は、平安京。都は、陰陽師たちに守られていた。陰陽道において力のある安倍晴明だが、都を守ること自体には興味を持っていない。宮中でやむなく方術を見せることがあるが、みな晴明に恐れを抱く。

ある日のこと、武官の源博雅は藤原兼家から庭の松の木に瓜が成るのは妙なので、安倍晴明を呼んで来るようにと命を受ける。博雅も、陰陽師を苦手とする一人であった。晴明は、瓜には呪(しゅ)が掛けられていると言う。呪の元を探る道すがら、博雅は晴明から呪について聞かされる。

呪とは、物や心を縛るもの。怨念も呪といえる。人は心一つで鬼にも仏にも成りうる。博雅は、晴明の話をいくら聞いても理解することが出来ない。だが、縁あって晴明と行動を共にするにつれ、目の前で起こっている事を素直に受け止めていく。

世を達観した表情の奥にある晴明の奥深さを感じ、それは晴明にとっての博雅の存在も心和むものであった。互いに無くてはならない存在となっていく。

この頃、陰陽師を束ねる陰陽頭(おんみょうのかみ)、道尊は怪しい動きを始めていた。己の悪しき野心を実現するために、右大臣の元方(げんぽう)の妬みの念を利用して帝を亡き者にしようとしていた。初めに帝の世継ぎである敦平親王に呪をかけるが、晴明に阻まれる。

晴明は帝の命も救うが、その際大きな代償が払われ、静かな怒りを覚える。晴明は道尊に向けて矢を放つ。
次々に破れた道尊は、ついに都への呪いの封印を解く。都は大混乱に陥るが、晴明は興味が無かった。

ただ、博雅のために立ち上がることにした晴明。巫女の青音から、博雅と共に都に大切な存在だと知る晴明だが、既に道尊もその意味を知り、博雅の命を狙う。

映画「陰陽師」の感想レビュー

★×6

以前、途中からこの作品を見たので、たいして面白くないと思っていたが、あらためて初めから見ると実は丁寧に作られたものと感じた。

野村萬斎の雰囲気は淡々として、古典芸能の役者としての優雅な動きは神がかったものを感じさせる。一方の真田広之は、鬼気迫る演技で重みのある狂気を醸し出していて、素晴らしかった。

能力に溺れることなく、政事(まつりこと)ではなく人の心を大切にする晴明の静かな想いに逆に熱いものを覚え、これを表現した野村萬斎の演技に感動した!

陰陽道

元は中国から伝わったものの、神道、仏教、道教の影響を受けて日本で独自に発達し陰陽道という名が残った。

出世に興味がない晴明

安倍晴明は、陰陽頭の道尊より位が低い。晴明は位の事などは気にもしていないが、道尊には何かしらのものを感じている様子が劇中にある。

それは、道尊に不穏なものを感じてなのか、単に上司にへつらいたくないだけなのか、分かりかねる。
実際、この時代に権力争いはあったようだが、ここは、皆さんが解釈して楽しんでいただきたいところ。

流派の違い?

晴明と道尊が、方術を通して対決する場面があるが、晴明は静かだが、道尊は激しい。静と動の戦いの様相で面白くもある。

ふたりは、流派の違いがあるのかと思うのだが、調べてみてもハッキリした答えには行き着かず、あえて言えば時代は違うが、どちらも山伏の印に似た動きに見える。ただ、晴明は手刀のみで、表現は対照的だ。

制作の意図として、晴明は才能高く自然体、道尊は野心と厳しい修行によって力を得た、などという見方をしたら面白いのかと思った。これは、あくまで想像になるが。

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まとめ

内容的には神がかって、現実離れしたものとなってしまうのは仕方のないこと。安倍晴明が世を達観しているわりには、純粋な心の持ち主である事が大事。

今の世の中も、商売においては、付加価値と称した様々なサービスが存在する。必然性がないものも多く、需要供給がかみ合わないと、かえって迷惑にもなりかねない。
個人もこれに似ている。余計な物を削ぎ落とした優しさを表現するのが、大事な時代だと思う。

晴明が博雅のために出向く、これが単に都を守るためとなっていたら、さぞかしつまらない映画になっていただろうと思う。

監督:滝田洋二郎

キャスト
安倍晴明・・・野村萬斎
源博雅・・・伊藤英明
蜜虫・・・今井絵理子
帝・・・岸部一徳
道尊・・・真田広之
青音・・・小泉今日子

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